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ここでしか読めないファジー結成時の秘密のお話。ちょっとづつ連載していきます。 |
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アンサンブルでTpは花形!魚谷と同レベルのプレイヤーでないとアンサンブルを楽しめない。それに一般バンド名でアンサンブルをするには友人を気軽に呼んでくるわけにもいかない。じゃ、アンサンブルを作ろうということになり早速行動を起こしました。
私はそのとき魚谷に「秋田か福島に早く声をかけとけよ。」と言っておいたのを覚えています。
次は2人で村上に声をかけてメンバーになってもらいました。後日、福島がOKということを魚谷から聞いてそのときに越尾君の声がでてこれでFUZZYが誕生しました。 初練習はたしか1990年の12月30日、私の家でした。ただし村上はスキーに行っており不在でした。初練習といってもやっていたのは大初見大会!これがめちゃめちゃおもしろかった。 年が明けてアンコンの予選。場所は天理文化ホール。とても狭いところでした。実はこの日の1週間前の練習で魚谷が風邪をひいておりこの本番の日は全員ゴホゴホ・・・ホールも狭いこともあって押さえて軽く演奏することにしました。えっ、何故かって?それは咳がでたら止まらなくなるからです。 予選終了後、当時理事長をしておられた先生が予選の発表前に、「おまえら全国大会頑張れよ!!」と激励してくれました。発表前に・・・ 「久しぶりに金管アンサンブルという演奏を聴かせてもらった」とおもいっきり誉めてくださいました。1週間後の本選、全員風邪はすっかり治り体調万全!私達は、「先週風邪で演奏してあれだけ誉めてもらえたんや。今日は体調バッチリ!いつもどおりの演奏をしたら・・・」とすでに心の中は関西大会!・・・結果は?というとただの金賞でした。関西も全国も夢また夢・・・奈良県で終わりました。 これもすべてあの先生のあの一言が悪い。それにそのたった一言ですぐ調子にのった私達はなんとお調子者・・・ あ、そうそう曲目は「空想・夢・おもちゃ」です。 そしてこのFUZZYの次の練習日は1991年の12月30日でした。場所はまた私の家でした。 1991年のアンコンが終わり次に集まったのがこの年の12月30日。(最初からFUZZYな面々・・・)曲目は「ミュージックホール組曲」。結果はダントツの奈良県銀賞。なんとシンディのホルン8重奏に負けたのです。メンバーにとってこれがすごくショックだったのか5人だけでアンコンに挑むのはこれが最後となりました。 1992年の6月頃私は思いました。「せっかく集まったんやからせめて月に1度は集まりたい」と思いメンバーに声をかけて平日の夜月に一度王寺の文福で集まる事にしました。このころから自然とFUZZYの活動が静かに始まりました。そして5人の役割が自然と決まってきたのもこの頃です。会計・雑用を含む事務局は越尾君、FUZZY用のアレンジ担当村上、「ああやこうや・・・これしたいあれしたい・・・こんなんいやや・・・」というわがまま係魚谷&福島、代表大西。私が代表となったのは人格ではなくただ一番年寄りだったからです。 |
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